その45 石垣島弾丸旅行(コテージぷかぴー訪問・生きものの紹介が少なくてゴメンネ旅行)記−1
Ikimono Dayori sono45

石垣島弾丸旅行記 Page1
−コテージぷかぴー訪問・生きものの紹介が少なくてゴメンネ旅行−

ぷかぴーのエントランスで記念写真(右端がいずみさんとラフティー・隣がたけちゃん)

 2005年の6月25日から27日までの3日間(実質は1泊2日)、日本の最西端の島々、八重山列島の石垣島に行って来ました。
 実に26年ぶりの石垣島です。
 私が初めて石垣島を訪れたのは中学三年の夏休み。今から33年前の事です。
 その時は西表島に長く滞在したのですが、車は右側を走っていたし、西表島には電気が通ってなくて、各家は自家発電で明かりを灯していました。田畑を耕していたのは水牛です。
 当時の私は蝶々の採集に夢中でした。初めての石垣島・西表島の採集旅行で、南国の蝶々や自然の豊かさに魅了され、それ以降、高校・大学とアルバイトでお金を貯めては、毎年何十日間も八重山に入り浸る生活を送っていました。
 八重山に入ると音信不通になるため、母親から「たまには連絡しろ」とよく叱られたものです。もちろん携帯電話もないし、公衆電話もどこにやら?もとよりそのようなハード面は別にしても別世界にやってきたうれしさに「浦島太郎」していたのでしょうね。
 石垣島にも長く滞在しました。石垣島では主に市内の民宿に宿泊して、於茂登岳やバンナ岳に通うか、米原海岸の荒川側でキャンプをしながら「裏石垣」といわれる地域で蝶々を採集していました。
 採集が終わると、荒川の清流で水浴びをして汗を流していました。
 食事は朝・昼は主にバナナ、夜は海に潜っては魚を突いていたキャンパーから魚をもらったり、タコや貝、海藻などを採ったりしながらの自炊生活でした。
 炊事に使う水や飲料水は、荒川の水を使っていました。当時の私にとって荒川は、好採集地でもあり、生活の場でもあったわけです。
 気象観測をしていたキャンパーから大型の台風が来ることを教えられて、民家の納屋に避難させてもらったことも何度かありました。
 今から考えると随分無茶なことをしていたものです。
 大学卒業後、蝶の採集や研究対象を、インド・オセアニア区に生息するカザリシロチョウ(Delias属)に絞ったため、22歳以降に八重山群島を訪れる事はありませんでした。またイモリやサンショウウオに興味を持ち始めて再び南西諸島に通うようになってからも、これらが生息していない八重山列島には足が向くこともありませんでした。

 そんな私が、どうして石垣島に行ったのって?
 それは、石垣島の思い出深い地、荒川の近くに、友人のたけちゃん・いずみさん夫妻がペンションを創ったからなのです。
 ペンションの名前は「ぷかぴー」。ダイビング好きなたけちゃん夫婦が、米原のダブルリーフに因んで付けた名前です。http://pukapii.com/
 ペンションは、ゆったりしたコテージタイプで、ダイビングや自然好きな2人の思想がふんだんに盛り込まれた、落ちついた宿なのです。
 7月1日がグランドオープンなのですが、プレオープンに家族全員と友人のやそくん・しのぶちゃん夫妻とで押し掛けて、お祝い方々、わいわい騒いじゃおうと言う魂胆です。
 旅程が具体化するにつれ、石垣島では、家族全員で、以前訪れていた時のように捕虫網を振って蝶々を採集しよう、米原海岸で海遊びをして、米原の海の素晴らしさ・楽しさを家族と共有しようと心に決めていました。
 前置きがめちゃくちゃ長くなってしまいましたが、石垣島弾丸旅行(コテージぷかぴー訪問・生きものの紹介が少なくてゴメンネ旅行)記の始まりです。


文と写真:佐久間 聡(さくま さとし)
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