Ikimono Dayori sono72
ウマノオバチの棲む林
2009年 晩春
初夏を感じさせる日差しの中、一人で南多摩の谷戸山を歩いていた。
雑木林の木漏れ日が体に優しく降り注ぎ、光と影のコントラストが微風に揺らぎながら、美しい谷戸山の風景を演出しています。
尾根道に差し掛かかると視界が広がり、ジャコウアゲハやアオスジアゲハが舞っているのが目に入ります。
ジャコウアゲハの飛翔に導かれるように進むと、ハルジオンの咲く丘の上に出ました。
ジャコウアゲハが次々とハルジオンに飛来し、吸蜜を行なっていいます。
ジャコウアゲハ♂
ジャコウアゲハ♀
カメラを構え、夢中でシャッターを切ります。
どれぐらい時間が経っただろうか。
汗を拭い、ふと眼下の谷戸を眺めると、ひっそりと忘れ去られたような佇まいの林が目に入りました。
子どもの頃に、草いきれの中、夢中で昆虫を追い回していた林のように見えました。
ここには何かがある。
今では少なくなった生きもの達が、ひっそりと生息しているに違いない。
虫屋の直感です。
林に向かいゆっくり斜面を下りて見ることにします。
生茂るイタドリやススキを掻き分けて進みます。
平地性のZephyrus(ミドリシジミ)の仲間が下草に止まっています。
ウラナミアカシジミ | ミズイロオナガシジミ | アカシジミ |
初夏の雑木林を飾る宝石達です。
これらを撮影しながら林の中を進みます。
ウマノオバチやシロスジカミキリを育む林
林を構成する多くの樹木には、シロスジカミキリの食痕や脱出痕が目立ち、死亡したシロスジカミキリも見つかりました。
倒木や枯死枝を注意深く観察すると、多くのカミキリムシが這い回っていることに気付きます。
ゴマフカミキリ・サビカミキリ・トラカミキリの仲間 |
ムツボシタマムシやナガタマムシの仲間 |
ゴマダラオトシブミ | シャチホコガ(幼虫) | アケビコノハ(幼虫) |
日当たりのよい枯死枝の周辺を飛び交っているのは、小型のムツボシタマムシやナガタマムシの仲間です。
これらの昆虫達を写真撮影していると、いくら時間があっても足りません。
新葉に目をやると、テントウムシのような斑紋を持つゴマダラオトシブミが開ききった葉の上にとまっています。
ユニークな形態のシャチホコガの幼虫やおどけた表情のアケ ビコノハの幼虫も観察することができました。
シャチホコガの幼虫は、まるでAlienのようです。
これらを撮影し、この林を後にしようとした時です。
ヨコヅナサシガメに刺されて暴れている、見慣れない虫を見つけました。
最初はガガンボの仲間だろうと思っていたのですが、近寄って見ると、ウマノオバチです。
ヨコヅナサシガメに体液を吸われているウマノオバチ |
ウマノオバチを観察できる機会は、なかなかあるものではありません。
引き離して形態を観察することも考えたのですが、サシガメに体液を吸われているところを観察できる機会はもっと少ないと思い、成り行きを観察することにしました。
その後、何匹かのウマノオバチを観察し、満ち足りた気持ちで林を後にしました。
ウマノオバチ(Euurobracon yokohamae Dalla Torre, 1898)は、コマユバチ科の寄生バチです。
ウマノオバチの最大の特徴は、産卵管の長さにあります。
体長が15〜25mmなのに対し産卵管は120〜170mmにも達し、体長の7〜8倍もあります。
長い産卵管が馬の尾のように見えることから「馬尾蜂」と言う名前が付けられているのです。
産卵管は1本のように見えるのですが、実際は3本からなり、真ん中の1本が産卵管、両側の2本は産卵管鞘と呼ばれ、産卵管を保護し、柔軟性と強度を持たせています。
体色は黄褐色で腹部は暗褐色です。翅も黄褐色で外縁が広く、暗褐色を帯び前翅に3個と後翅に1個の黒紋があります。オスは後翅の黒紋がありません。
ウマノオバチの寄生主は、日本最大のカミキリムシの1種であるシロスジカミキリです。
シロスジカミキリの♀は、主にクヌギやコナラ等ブナ科植物の樹皮をかじって円形の穴をあけ、横に移動しながら次々と産卵します。
孵化した幼虫は、樹皮下に食い込んで材部を食い進み、3〜4年かけて生長し、材部で蛹化します。
ウマノオバチは、シロスジカミキリの幼虫が食い進んだ深い穴を探り出し、長い産卵管を使って穴の奥にいる幼虫に産卵します。
ウマノオバチの産卵管の長さは、シロスジカミキリの生態に合わせて進化してきた結果と言えるのです。
昔は普通種だったシロスジカミキリも、今日では姿を見る機会がめっきり少なくなってきました。減少傾向にあることは間違いないようです。
ウマノオバチを含む寄生型の昆虫の個体数は、寄生主と比較して少ないことが一般的です。これは、寄生する側が多くなると、寄生主を食い尽くし、自らも滅びることに繋がってしまうからです。
ウマノオバチは、なかなか姿を見ることができなくなった、希少種の1つなのです。